嫌な思い出がどんどん増える。
嫌な人、嫌な企業、嫌な場所。
辛い思い出がどんどん増え、生きづらくなってくる。
嫌な人の情報をfacebookで見るたびに、辛くなる。
嫌な場所を通るたびに、あのときの感情が蘇ってくる。
嫌な企業の話を聞くたびに、イライラが蘇ってくる。
こうやって人生を進めていくべきなんだろう。
感情などいらない。
ただ、淡々とやるだけ。
その先に何があるかは知らないけど、
もしその先になにも残らなければ、やめればいい。
その時は、違う道へ、違う人として、生き直せばいい。
人生をリセットすればいい。
お前はそういう未知を選んだのだ。
周りの出来事に一喜一憂すべきではない。
あの人が〇〇と言った。あの人が△△だった。
とか、いちいち周りの事象に感情を揺さぶられていたら、精神が持たない。
周りがどうとか、どうでも良いのだ。
もっと鈍感になれ。
マシーンになるんだ。
辛いとか、きついとか、そんな感情は消えされ。
お前は、感情など求められない道を選んだのだ。
数字として結果を出すのだ。それが嫌なら、この道を諦めて田舎できゅうりでも作ってろ。
それは自分が一番良くわかっているはずだ。
鈍感になるのだ。
他人なんて関係ない。
全ては自己責任で、誰も助けてはくれない。
儲からない事業はビジネスではない。お遊びだ。
タイトルに尽きる。
利益度外視で、めちゃ跳ねるので、投資しますとかはもうない。
そういうことをやって、時間とキャッシュをドブに捨て続けた。
PL引いて、ユニットエコノミクスが成立していない(=12ヶ月以内に回収不可な)事業はビジネスではない。それは、NPOであり、非営利法人である。大学のサークルである。お遊びである。
非営利法人はやってる内容の見栄えが良い。
しかし、口でどんなにキラキラした素晴らしい話をしていたとしても、徐々にジリ貧になり、キャッシュは尽き、事業は伸びず、メンバーは辞め、ステークホルダーから責められる。
そして、自分に嘘をつき続けながら、進む先にあるのは、無だ。
なにも残らない。ただ、失敗したという事実と無駄にしたキャッシュと時間があるだけだ。
自分では失敗を認められず、どんどん虚勢を張っていく。
その間も、爆弾の導火線には火がが付いている。
自分で気付かないフリをすればするほど、被害が大きくなっていく。
そして、ある時気づく。
ああ、失敗したんだと。なにも残っていないんだと。
でも、周りは、気づいていたのだ。お前はもう死んでいると。
失うもので、もう一つ、大きいのがある。
それは、人だ。
協力してくれた人、メンバーになった人、色んな人を失う。
嘘つき、詐欺師呼ばわりされて、みんな離れていく。
恩を与えてくれた人に、アダで返すことになる。
人を信じれなくなる。衝突が起こる。
やがて、生きるのが辛くなる。
そういう想いをしたくなければ、二度と、ユニットエコノミクスが成立しない事業はやらないことだ。
起業家の友人は忠告してくれた。けど、聞き入れなかった。
僕は、夢を見ていたのだ。
一方で、応援してくれた人もいた。
けど、彼らは、全く利害関係はないのだ。
ただ、なにも考えずに、ワイワイ言ってるだけなのだ。
誰も責任は取ってくれない。
自分が納得して腹落ちして、意思決定をしないと、後悔する。
他人の責任にはできない。
世の中のすべての人が右といっても、自分が左であれば、左を選択すべきだ。
なぜなら、彼らは利害が一切ない、他人だからだ。
責任は全て自分のみにある。
人間は失敗して学ぶ。
それは真実だ。だけど、その学びを高速で得るためには自分で意思決定して、
自分で間違わなければならない。
早く自分の間違いを認めることが、傷口を最小限に抑えるコツだ。
▼学び
・稼げない事業をやるな。全てが崩壊する。
・誰も責任は取ってくれない。誰の話も聞く必要は無い。自分で決めろ。
これから、過去の失敗を書いていきます。
起業して3年強が経った。
未だに成果はゼロ。
出資してもらったお金を食いつぶしながら生きている。
これから、失敗をたくさん書いていこうと思う。
自分の備忘録にもなるかもしれないし、世の中のベンチャー経営者にとっての参考にもなるかもしれない。